全国疎開学童連絡協議会 公式ホームページ〜子どもたちの戦争体験〜gakudousokai.com

絵物語
疎開協からのお知らせ

2016年06月23日

「2016年度定期総会と記念講演」開催のお知らせ

「2016年度定期総会と記念講演」開催
(会員はもとより会員でない方もご参加下さい)
申し込みは info@gakudousokai.com にご連絡下さい)

日時:2016年6月28日(火)午後1時半受付開始 午後2時開会
場所:東京都ボランティア・市民活動センター JR飯田橋駅前
   セントラルプラザ10階 会議室B。
議題:今年度活動方針他審議

「記念講演」講師:疎開協理事 磯浦康二
テーマ「日本を破滅させた1冊の本『統帥参考』を知っていますか?
「お話の内容」
私たちが学童疎開で悲惨な生活を強いられ、都会には焼夷弾が雨あられと降り注ぎ、毎日生きた心地もしなかった日々、お国のため「欲しがりません 勝つ迄は!」と必死に我慢し、敗戦後は食料不足で飢えて食べ物の事しか考えられなかった。
軍人や当時のリーダーたちは「一億玉砕」を叫びました。
彼らは日本民族を滅ぼそうとしていたのです。
そうした記憶を私たちは決して忘れません。
今回は、何故、あのような理不尽なことが平気で行われたのか?その元凶は何だったのかを語りましょう。
現在、特定秘密保護法が成立し集団的自衛権の行使容認が閣議決定で簡単に行われ、ナチスに学べと現職の大臣が平気で発言し、憲法を改正して基本的人権を制限しようとする方向性まで見えてきました。立憲主義を否定する人たちまで出てきました。
戦前のあの悲惨な状況を再び望む不気味な勢力が力を得てきたように感じます。
まずは、司馬遼太郎の言う「魔法の書」のお話を致します。

「講師略歴」
昭和7年東京豊島区生れ。上智大学文学部新聞学科卒。
元NHKアナウンサー。元国会議員政策担当秘書、現NHK文化センター講師(朗読、話し方)。
(戦争体験)昭和19年東京豊島区西巣鴨第一国民学校6年生で、長野県千曲市(現在)の山奥の禅寺に集団疎開。昭和20年3月、卒業と進学のため帰京。
中学(旧制)に入学するも、4月13日夜の「東京城西地区大空襲」で罹災。
焼夷弾の雨あられと降る中を逃げまどった。家族に怪我人はなかったが、家も小学校も中学も焼け、焼け野原に立って呆然とした。
posted by 疎開協 at 21:52| 更新情報

2016年06月08日

会報「かけはし」84号

全国疎開学童連絡協議会の会報「かけはし」の84号が2016年5月25日に発行されました。
こちらのページにPDFを掲載しておりますので、ぜひご覧下さい。
posted by 疎開協 at 02:08| 更新情報

2016年06月06日

原爆症と戦った居森清子さん逝く!〜改めて知る原爆被害の深刻さ〜

昨年8月4日、学童疎開の日の集い「ヒロシマ・原爆・学童疎開」で映像参加された原爆被爆者の居森清子さんが今年4月2日、呼吸不全のため永眠された。82歳。居森さんは広島市で11歳の時、爆心地から約400メートルの本川(ほんかわ)国民学校で被爆し、同校にいた児童のうち只一人の生き残りだった。40代のころから発症した重複ガンと闘いながら、全国各地で、被爆体験を語り継ぐ活動をしてきた。5月27日に疎開協理事の高橋登女恵さんが、ご自宅を訪ねて疎開協からの供花をしてご主人の公照さんにお話を伺ってきました。

「居森さんのご自宅をお訪ねして」
疎開協理事 高橋登女恵

imorisan.jpgこの度、米国のオバマ大統領がヒロシマをアメリカの現職大統領としては初めて訪れるニュースを見て、居森清子さんに被爆者としての心境など伺おうとお電話して訃報を知りました。遅ればせながらご5月27日にご自宅を訪問して疎開協として遺影にお好きだったバラの花をお供えして、ご冥福をお祈りしてまいりました。
そして遺影の前で夫君の居森公照さんに清子さんの思いを伺いました。

高橋:アメリカをどのように思っていらしゃいましたか?
公照:生前からアメリカには憎しみは持っていませんでした。戦争を起こしたことが一番いけない、戦争は人々の暮らしを壊し不幸にする。原爆はもっとも恐ろしい。放射能って恐いです。
「戦争は絶対に起こしてはいけない」と言っていました。
高橋:オバマ大統領のヒロシマ訪問はご存知なかったのですね。
公照:知らずに逝きました。 私(公照さん)が8月6日ヒロシマに行きます。清子の母校での語り継ぎをしてきます。
高橋:清子さんは原爆症の認定が遅かったと聞いていますが?
公照:23歳の時にABCC(原爆障害調査委員会)で検査を受けたのですがどこにも異常が見られない、ということでした。本人は身体が辛かったようでした。40代になってから、色々な
病気が出てきました。ガンなどが多重に発病しました。
高橋:闘病中の生活のことをおきかせください
公照:身の回りのほとんどは私がしてきました。髪のカット、インシュリンの注射など。入院したあとには、床ずれの手当てなど大変でしたが、清子(さん)が「今が一番幸せ」と言ってくれたことが何よりの言葉でした。
高橋:お一人になられて、これからのことをひと言
公照:これからは清子さんに替わって被爆のことを語り継いでいきます。

高橋:お話をお聞きして、二人三脚で「語り継ぎ」をしてこられた夫婦愛を感じました。これからもどうぞ更なるご活躍をお祈りします。
被爆された方々のそれぞれの状況や症状の違いはあるでしょうが、今回お話を伺って一番深く心に残ったことは、清子さんの症状がかなり遅くに出たこと、多重ガンやその他の病の発病。それは、想像も及ばない原爆の恐ろしさの一端と改めて感じました。
昨年の疎開協の取材が清子さんの最後の取材になったとお聞きし、同世代の私たちの活動の重要性を深く受け止めました。二度とこのような事を体験したくない、させたくない。戦争は絶対にしてはならない。このように語り継いでいくことが大切だと思いました。
posted by 疎開協 at 23:56| 更新情報